
俳趣俳情?C
塵もなし
山下一海
(社)俳人協会
今月号のあの人の句は、いつかの句会の私の句によく似ている。こんどの大会で入選した句とほとんど同じ句を、前に別の人の作で見たことがある。まねじゃないの?剽藕だよ!類句や類想の問題は、往々にしてそのように、後から現れた句を誹謗する形ではじまる。
芭蕉のころ。類句や類想は、等類の語で論じられた。芭蕉は<他人の句との等類よりも、自分の新たに作った句が、自分の以前に作った句の等類になっていることに案外気がつかぬらのだ>という。自句間の等類を避けることは。俳諧の新しみを図る上にら大切なことで、文学上の問題となり得るが、他の人の句との等類は、感情問題に走りがちで、文学的な議論にはなりにくい・芭蕉は<自句に似た句が他にある場合は、必ず自句をとりさげなさい>という。他人の句を誹謗するなど論外である。
白菊の目にたてて見る塵もなし 芭蕉
芭蕉は病床に去来を呼んで、最近のこの句が、旧作の、
清滝や波に塵なき夏の月 芭蕉
に似ているから、旧作の方を破棄してくれと指示する。死の三日前のことである。芭蕉は末期の床でも自句間の等類回避に必死で。枯野の夢もおちおち見ていられなかった。